名曲は本当に名曲か?

クラシックの名曲は本当に名曲なのか?

10年近くにわたって、W市が主催するコンサートのプロデュースをさせて頂いた。それ以前からのつきあいもあるが、国内外の優れた(クラシックの)演奏家とともに実り多い仕事ができたことを感謝している。そのような経験があってもなお、クラシック音楽の多くは...特に一般的に名曲と言われているものが...実は私にはよく理解できない(あまり面白いとは思えない)のだ...何十年聴いてもである!

去年、いつもお世話になっているA社から招待状を頂いて、40年前から名前はよく知っている有名な指揮者が率いる有名な海外オーケストラのコンサートを聴きに行った。1曲目はモーツアルトの有名な交響曲「ジュピター」。和声的な面白さと対位法的な面白さとが織り交ざって、流石にモーツァルトは天才、むべなるかな。と思える部分もあるのだが、それ以外のところは(気持ちは良いものの)冗長で、つい眠り込んでしまった。長大な2曲目については敢えて触れない。

そんなこんな訳で、というかそれとは関係ない動機で先週、私たちの担当をされているA社のBさんとCさんを招いて、私(たち)が美しいと思うクラシックの録音数曲を聴いていただいた。クラシック音楽にはあまり(たぶん殆ど)馴染んで来られなかった方々である。ところが驚いたことに、英国のスコットランド系作曲家、ジョン・アイアランド(1879-1962)の管弦楽曲(A Downland Suite の2、3楽章)が抜群に好評だったのである。

アイアランドはかなり有名な作曲家だとは言え、音友から出ている「クラシック名盤1000枚」といった類のガイドブックには1曲も載っていない。しかし実は、モーツァルトがいくら天才であったとしても、150年後に編まれたアイアランドの曲の方が(全てとは言わないまでも)多くの点で遥かに進化している筈なのである。旋律と和声は純粋かつ豊穣で、より進化した耳を持つ今日の聴衆には自然に受け容れられる、ということが図らずして証明された。

すべてに人は生まれながらにして、美しいものを美しいと直感できる。それを邪魔しているのは、商業主義と知識や規範偏重の教育だろう。こうした権威主義が、私たちの直観をとことん鈍らせている...。

必然的にアイアランドは交響曲やオペラを手がけなかった。そのような形式が生み出すものから冗長さを一切取り除けるほど、まだまだ人間は神に近づいてはいない。昔も今も。

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